今日は、沢山の引退馬達の救済に心血を注ぎ、 60代後半で旅立たれたAさんの命日です。 彼女の遺品の中に「タマモハイウェイ」の名が記され、 綺麗にラッピングされた蹄鉄がありました。 タマモハイウェイ号が嬬恋ホースパークで乗用馬をしていた時、 「少しでも馬達の為になれば…」と購入されたものなのでしょう。 Aさんの一周忌迄には「故郷に帰してあげたい」と思っていましたが、 先日、大切に保管して下さっていた友人の手により、果たす事が出来ました。 Aさんのお父様は、戦時中軍馬の世話をされていたそうで、 病気になり戦地から帰還となった為、彼女を世に送り出してくれました。 それはきっと…お父様が慈しみ大切に扱ってくれた事への 馬達からの恩返しだったのかも知れません。 戦場から唯一頭、故郷へ帰る事が出来た軍馬「勝山号」は、 水沢駅で貨車から降ろされ「懐かしの我が家」に近くなった時、 手綱を放してやると…夕暮れの道を迷わず、丸8年の空白は何でもなく 追いつけない程の早足となり、二声嬉しそうに嘶いたそうです。 そして…家族総出で提灯を掲げて待つ人達の前で涙を零したとの事です。 故郷に帰ってから1年8ヶ月後、戦地で三度目に負った傷が原因で、 自宅の馬房の藁の上で永眠、14才での旅立ちでした。 その最期を看取った獣医は、直立して「挙手の礼」で見送ったそうです。 解剖の結果、被弾した頸部から3、4センチの砲弾の破片が出てきて、 これにより主要な神経を切断し、その痛みはずっと続いていたようです。 軍馬「勝山号」のこの話は… 戦争の犠牲となり、悲しい末路を辿った何十万頭の馬達を想う時、 ほんの少し救われた気持ちにさせてくれます。…と同時に 馬達の故郷を恋しく思う心の強さに、涙が溢れて仕方ありません。 Aさんとこの「勝山号」の話をした事もあり… タマモハイウェイ号の蹄鉄の存在を知った時、 嬬恋から別の乗馬クラブに移り、その先の行方が分からない彼の 「生きてきた証」を故郷に帰してあげたいと思い続けていました。 この願いを生産牧場さんに伝え、快諾して頂いただけでも嬉しかったのに、 お送りした蹄鉄を、彼の5代母ワカクサ号の墓前に供して頂いたとの事で、 感謝と感動で胸がいっぱいになりました。 Aさんから教わった事、見習いたい事はまだまだ沢山あります。 その足元にも及ばず、非力ではありますが、 ほんの僅かずつでも彼女の遺志を継いで行けたら…と思っています。 写真は、「勝山号」と 5代母墓前のタマモハイウェイ号の蹄鉄です。
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