プロレスの話第18弾、今回は「東洋の巨人」ことジャイアント馬場である。 その名の通り、「巨きな人」であった。 体だけではなく、心もジャイアントな人であった。 超一流のプロレスラーにだけ許されることがある。 普通の技でも、頭にそのレスラーの名前をつけると、そのレスラーのオリジナル技とみなされるのだ。馬場さんもそうだった。 馬場さんがラリアットを使えば「ジャイアント・ラリアット」パワーボムを使えば「ジャイアント・パワーボム」と呼ばれ、馬場さんしか使えない技になるのである。ジャンボ鶴田なら「ジャンボ何々」藤波辰巳なら「ドラゴン何々」といったところである。 実は馬場さんが大きいのは「巨人症」というホルモン異常の病気を患っていたからである。 馬場さんの腕が細いのは、プロ野球の投手だったからである。(当時、投手がウエイトトレーニングをするのはタブーであった) 馬場さんに子供がいないのは、巨人症が遺伝するのを恐れたからである。(医学的には、巨人症はほとんど遺伝しないそうだが) ビンス・マクマホン・ジュニアが馬場さんに頭が上がらないのは、WWFが日本マーケット征服を企んでいるのがバレて、馬場さんに一喝されたからである。 馬場さんが葉巻をやめたのは、友人だった逸見政孝さんがガンで入院したときに、逸見さんが復帰するまで葉巻を断つ、と誓ったからである。 (残念なことに逸見さんは帰らぬ人となった。馬場さんは以降、葉巻を完全にやめた) 馬場さんとアントニオ猪木氏は年に数回会って、旧交を暖めていた。(馬場さんは生涯、猪木氏を「寛ちゃん」と呼んでいた) 1971年の日本プロレスの「猪木クーデター騒動」で日プロ上層部に猪木のクーデター計画を密告したのは上田馬之助ではなく自分である、とカミングアウトした。(ただし、複数の関係者は上田が密告したと証言しており、真相は未だ不明である) 馬券さんの愛車のキャデラックは、親友だったブルーノ・サンマルチノからのプレゼントである。 馬場さんについてはまだまだ書きたいことがいっぱいあるが、今日はこのくらいにしておく。 折をみて続編を書くつもりでいる。 猪木氏についても同様である。 今日はここまで、それでは皆さんまた明日(^-^) Youth!
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