ステイゴールドのことは日記でも何回かとりあげているが、いずれも「種牡馬」としてのステイゴールドであり、「競走馬」としてのステイゴールドを書いたことは1度もなかった、ということについさっき気がついたので、今日は「競走馬ステイゴールド」のことを書く。 「頑固一徹」ステイゴールドを四文字熟語で表すと、この熟語がピッタリではないかと思う。 とにかく頑固者で、自分が納得しない限り調教でもレースでも人間の言うことなど知ったことじゃないとばかりに自由気ままに振るまっていた。 おまけにレースにまるで集中せず、「レース中はつねに止めるチャンスを窺っていた」と、主戦騎手の1人だった熊沢重文を嘆かせていた。 「最後まで掴み所のなかった馬」もう1人の主戦騎手、武豊はこう振り返っている。 レース中によく見せた左にササる癖は、熊沢騎手に言わせると「左に寄れば騎手が御することができなくなって、レースを止めることができると思いこんでいたのだろう」とのことである。 間違い無く能力はあったことは、4度のG12着が示しているとおりである。小柄な体が災いしたのと、激しすぎるうえに気分屋な性格がステイゴールドの出世を遅らせた。 能力だけで言えばディープインパクトに匹敵しただろう。惜しむらくは「まともに走ったレースが数えるほどしかない」ことである。 ステイゴールドは生涯50戦しているが、私が見る限りステイゴールドが「まともに走る気になった」レースは、2000年の目黒記念、翌年の日経新春杯、海外での2戦の計4回だけである。 「能力はあるのに勝てない」馬ではなかった。 「走る気になれば勝てるのになかなか走る気にならない」馬だったのである。 ステイの気まぐれにファンは振り回され、ヤキモキし、歯がゆい思いを何度もさせられた。 でも憎めない馬だった。いつかきっとG1を勝てる、勝つ姿をこの目で見たい、そう思わせてくれる馬だった。 「いつかきっと」競馬に限らず、生きていくうえで私たちがいつも心に秘めていることである。 そんな私たちの思いに、ステイゴールドは最後の最後で応えてくれた。 「最後くらいまじめに走ってやるか、応援してくれた義理もあるし、いい繁殖牝馬を集めなきゃならねーからな( ̄▽ ̄;)」と彼が思っていたかは知るよしもないが、シャティンの最後の直線200mで見せた「羽が生えたような走り」には、彼のそういう思いが秘められているような気がした。 後々のステイゴールドの種牡馬としての活躍は、わざわざここで書く必要はないだろう。
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