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とうけいにせい
  岩手
nプロ会報臨時増刊号(第3号)
2014/06/25 18:15

全国8000万人のプロレスファンのみなさん、こんばんは(^^)
nプロ会報臨時増刊号(第3号)をUPします。

☆忍法「奇跡の復活」(その3)

一度はプロレスを断念し、失意の中にあった乱丸選手はジャガー横田さんからの「もう一度がんばってみない?」との誘いに奮起し、J`dに入団します。1999年10月のことです。

J`dでも素顔を隠すために覆面をかぶってファイトしました。「救世忍者乱丸」というリングネームはこの時代から使用しています。
乱丸選手は多彩な空中殺法と空手技で一躍トップレスラーの1人となり、タッグ王座も獲得しました。
2005年にはさらなる飛躍を期してフリーとなり、いろいろな団体に参戦するようになりました。

2006年3月、プロレスラーとして充実期を迎えていた乱丸選手に突然の病魔が襲ってきました。
ある時、身体の変調を感じた乱丸選手は病院に行って診察を受けました。診察の結果、乱丸選手はすぐさま集中治療室に入れられました。

乱丸選手は「急速進行性糸球体腎炎」という難病に冒されていたのです。
この病気は短期間で病状が進行していくのが特徴で、発病者の3人に1人が人工透析を必要とするほどに悪化し、5人に1人は命を落としてしまうほどの難病なんです。

乱丸選手は医師から「プロレス復帰は絶対に無理です」と宣告されてしまいました。
不屈の闘志でプロレスラーへの道を切り開いた乱丸選手ですが、今度ばかりは「復帰はできないだろうな...」と諦めたそうです。(医師からは薬の副作用で骨粗鬆症を発症するリスクもある、と聞かされていました)

絶望に沈む乱丸選手を救ったのは...恩人であるジャガー横田さんと夫で元全日本女子プロレスのリングドクターだった木下博勝さんでした。

横田さんは乱丸選手に「リングで待ってるよ」と書き綴った手紙を渡し、木下さんは乱丸選手から病名を聞くと「大丈夫、時間はかかるけど復帰できる。安心したよ」と乱丸選手を勇気づけました。
でも、乱丸選手は木下さんの言葉を聞いて首をかしげました。担当医師や看護師から聞いていたことと全く逆だったからです。

乱丸選手は「れっきとした医者の木下さんがそう言うんだから...それならば2人のためにも絶対復帰してやる」と心に決めました。
退院してから少しつづ体を動かしはじめましたが、最初は少し歩くだけでもすぐに息が上がってしまうほど体力は落ちていました。
おまけに「急速進行性糸球体腎炎」は再発するリスクが高い病気でした。乱丸選手は通院と投薬、食事療法などを行ないなからトレーニングをしなければいけませんでした。

発病から2年2ヶ月経った2008年の5月、ジャガー横田さんとライオネス飛鳥さんが合同で行った自主興業のリングの中に、乱丸選手の姿がありました。

乱丸選手は見事にプロレス復帰を果たしたのです。

※今回はここまで、次回完結(^-^)/

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